てくてくちとせ

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四柱推命−生きづらい人生とどう向き合うか

 

十年ほど前、失踪してしまいたいと本気で思った。歩き疲れた夜に佇む…から始まるWithout youという曲が宛もなく走る車で流れ続ける。どこまでも続く青い空が茫漠として、かえって私は不安になった。「この世に生をうけることに、祝福はあるのかもしれないし、ないのかもしれない」去来した言葉の羅列が繰り返される。頭の片隅、胸の内に。眼前の世界には果てしない青空が続いているが、死はそうしたなかから、容易く私を掴んで身動きを封じることができるだろう。そんな気がしていた。


今回は生きづらい事について。四柱推命の観点からいくつか命式の観点や大運の観点含めて、お話させていただく。

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目次

前書き
①偏官格の命式
②傷官が正官を剋す命式
③正官過多の命式
④命式がパワー不足
⑤大運の変わりを待つ

 

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四柱推命と生き辛さ


仕事を辞めたのは成り行きで、点と線が切り離されたように、ある日唐突に嫌になった。そこからは早かった。日支が「絶」動物占いではペガサスの私は、飛ぶような勢いで辞表をだした。労働の意義と私の心はすでに決別しており、宛があるから辞める、ないから辞めない、という問題ではそもそもなかった。それから半年はニート、金が尽きてきて首が回らなくなったが、実家が仏教徒で、その影響か自○はあまり考えなかった。不真面目な信仰者なのにだ。それでも寝るまえはロープを買う妄想は繰り返した。ホームセンターでロープ何てそうそう売れるのか。レジに向かう自分の姿が浮かんだ。


カミュの小説異邦人に登場するムルソーは、とても暑い日に手にした銃の引き金を引いた。その行為に意味はなかった。「暑かったから」理由はそれだけだ。四柱推命に関わるなか人生の不条理というものを命式から思う。例え一生懸命にならなくても良い金運の持ち主は存在するのに、ムルソーのように無目的で引いた銃の引き金が、たまたま偶然人間に命中してしまう。まさにバカな。四柱推命ではそれを運命と呼ぶ。まな板に乗せた野菜に、迷いなく包丁を叩きこむが如く、ハッキリとそう呼ぶ。祝福と、非祝福をのべつもなく述べて、宗教的教義も慰めも必要としない。善人だから、悪人だから、それすらも関係ない。関係ないとしても、心は叫びたい。


何て生き辛いんだ。シンプルに…。会社を辞めた理由、学校にいかない理由、必ず明確な理由があるとは限らず、青空に映る茫漠とした虚しさに足を取られていることだってある。


ちっぽけな信仰しか持たない私でも、四柱推命の特色に対して、納得とは遠い気持ちをずっと持っている。

 

①以下は偏官格と呼ばれる命式だ。


時日月年
○乙辛辛
酉卯酉○


日主乙が偏官の辛(偏官)に剋されて、対人面や仕事でストレスを受けやすい。


偏官は「鬼」に例えられ、日主を剋す力がつよい。命式で金棒をもった鬼が暴れていると、日主が抗おうにも抵抗がし辛い。四柱推命的にはご自身の努力で何とか…ということではなく命式配合が持ち合わせたスタンダードな対人運ということになる。


多くの人達は努力をして頑張ったがゆえに、いまの成功があると考える。少なくともそういう姿勢で頑張ってきたからだ。逆をいえば、出世しないことや成功しないことも自己責任ということになる。あるスポーツ選手と格闘家が対談する番組で「ご縁と運」という話がでた。野球の一軍で成功した一人の選手が、自分より能力がある人がダメになったりする事があると語った。「実力だけではなく運がある」と。格闘家も賛同する。おや、と思う。スピリチュアルとか占いのジャンルの話じゃないか。いや、一流となった人こそ、こうした感度を持ち合わせているのだろう。

 

 

②傷官が正官を剋す命式


時日月年
○辛壬丙
○亥○○


組織で出世がしたい。お父さんもお母さんもそうしなさいと言った。お父さんは大企業のエリートで、子供である自分にはその道しかなかった。とはいえ、もうじき三十代は迎えようにも、どうも仕事が合ってない気がする。勿論その事は両親には話せなかった。実は入社して、三ヶ月が過ぎたころには自分が周囲から浮いていることに気づいた。挨拶はするし、普通の会話だってできる。でも、何か取り返しがつかないほど、同期と距離を感じる。そこにいると場違いのような感覚…小さかった違和感、社内ではじめて部下を持ってから決定的になった。


命式の傷官が、正官を剋せば、社会的立場を否定して、自由を求める。気づかず苦悩していれば、本人にとっては大変だ。水面下に隠れていながら、綻びが、膨れて時期が噛み合って命式情報が顔を覗かせる。本人が求める、求めない関わらず、その特徴が日増しに顕著になる。管理が苦手だった。それと出世を求めていなかった。

 

 

③正官過多の命式


時日月年
己壬己丁
○子未○


反対にいくら管理ができる命式でも、計り知れない苦悩が隠れていることがある。日主が壬であればその性質は流動的だ。だが、命式に高貴や正道を意味する正官が多ければ、「こうでなければならない」という既成概念がつよく働き、流動的な壬の性質が抑えこまれて葛藤が生まれる。かりに、自由な方向に進もうとすれば正官がストッパーとなって、自由のなかに強い不自由を感じてしまう。命式の特徴とは単一的な価値観では測れない。正の面があれば負の面があり逆もしかり。生き辛いと感じた時に、人生は自分の実力だけで目的地に辿り着けるわけではなく、運命に生かされている事を意識すれば楽だ。思い通りにならない今を責めるより、命式を免罪符にすることも四柱推命において決して間違った態度ではないだろう。

 

 

 

④命式がパワー不足


日主甲は、命式に根を張る必要がある。努力の根、功徳を積むための根、強い風が吹いていたとしても根を張らねば甲は倒れてしまう。今が思い通りにならないのは仕方ない。耐える時期なのか、打って出る時期なのか、このあたりが曖昧だった私は当時危うく倒れかけた。船が追突する氷山は突然表れるものではない。原因は心の奥深く眠っているかもしれないが、ペガサスだって毎度毎度気分で飛び回ってはいられない。大運によって日主が酷く剋されるといった事が起きると、一時的に生命力が命式から差っ引かれる。日主の生命力の残量は人それぞれ異なり、命式がそもそも剋や、洩れが酷い状態であれば生きるうえで問題となる。しまいこんだ負の感情も表面化し、日光に焼かれるがごとき吸血鬼状態だ。


出世などとんでもない、生きているだけで褒めてほしい。この現実に根を張るには、表面化されつつある感情を一つ一つ認めてやるほかない。単純に負の形を形成していると思っていた感情は開放を望んでいる。身体は休みたがっている。仕事は降格するだろうか。考えることは山ほどあるけど、○のう、消えてしまいたい、そうした原因の正体は苦しい渦中にこそ存在している。周囲とうまくいかない、上等じゃないか。既成概念に乗っ取り舵を切るには根が必要だ。「人生に祝福はある」自分で決めるんだ。

 

 

 

⑤大運の変わりを待つ


走る車から見える遠近感は本当だろうか。ふと感じる。本当はどこにも向かっていないのではないだろうか。夏の終わりに道端に咲く曼珠沙華は、毎年美しい。一年ごとに、今年はあの人の大運が切り替わったなと大運が切り替わる知人達に想いをはせる。大運の切り替わりは命式にダイレクトに影響を与える。これまで生き辛かった時期がガラッと変化するタイミング、その可能性がある。諸行無常(しょぎょうむじょう)万物に不変はない。運勢も同じだ。現代人は何かと急ぎすぎる。ただ待つということのなかにも、生が息づいている。

 

 

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