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四柱推命-カリスマの命式/五行や星の組み合わせを解説

 

平成時代までカリスマといえば、何かエキセントリックでとんでもなくぶっ飛んだ人というイメージがあった。時代を象徴するようにかつてのsnsでも、「成功する秘訣っすか?脳を太らせないことですね。感性という恋人が寂しがってしまうから。」とか「籠の中でエサをもらう鳥であるな、飢えた野生のタカであれ!」…みたいな、発信が多々みられた。俺は人と違って生活も考えも常にミッションインポッシブルっす、みたいなノリである。今回は四柱推命からみたカリスマの命式について書いてみたい。

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■カリスマの命式


ウィキの表記にはカリスマとは「超人間的、非日常、英雄、民衆を惹きつける」などが書かれている。成功の地図を片手に、才能という恋人と共に、サンルーフの車でフィアユイゴーみたいなタイプが容易に想像しやすい。現代社会は仕事や生き方の在り方が多枝にわたり、その道のカリスマみたいな人はたくさんいる。つまり総体的に信仰対象としての世のカリスマの株価が下がったのだ。しかし逆に個々の技術面や能力という意味でのカリスマは健在である。


さて、四柱推命の観点から民衆を惹きつけるという命式では、火の五行が関係する。つまり、火は明るさと関係して人目を浴びることになるからだ。思想を啓発するようなタイプ、実業家、アーティスト、芸能人などに多い。雰囲気も煌びやかである。そこに加えて、表現星の食傷が存在すると、アピール力に繋がる。自らを表現する能力が高めとなる。つまりそうした命式は人目につきやすい。それに加えて、偏官が存在することもポイントだ。


以下有名講演家の方の命式


年月日
丙庚丙
午子辰

 

上記の条件をバッチリ満たしている。地支の配合もいい感じだ。権威や名誉と関係する偏官の配置もまたよい。目立つことと、権威が見事にマッチした命式で、他者から応援もされる。


以下、世界に影響を与えたりんごを英語で発音すれば?の方の命式


年月日
乙戊丙
未寅辰


火の五行があり、食神の役割りがしっかりしている。日主が丁の場合も、目立つ意味があるけれど、丙はもっと人目をひくといっていいだろう。(因みに日柱でなくても他の柱に火の五行が存在していても構わない。)偏官も日支の辰に存在している。この2つの命式は、ただ単に目立つというよりも、食傷という能力を兼ね備えている。あくまで八字の繋がり如何によるけれど、特徴を拾い出すとカリスマの命式に関係しやすい。


もっと個人の技能面を追求するカリスマタイプであると、印星や食傷の組み合わせによってその道を席巻することもある。つまり持っている能力が関係するカリスマだ。カリスマ、カリスマと書きすぎて、短く「スマ」でいいんじゃね?と感じてきた。


以下、ボタン、汚れちまつた悲しみにの作者


年月日
丁甲戊
未辰申


年柱に丁が存在して、日支の食神がイキイキしている。甲が持つ崇高さという部分も発揮される。(正直私は詩がわからない感性が鈍い人間です。でも月夜の晩に、ボタンが一つ、波打ち際に、落ちてゐたの詩は染み入った。)年柱の丁は、日主自身が目立つというよりも、丁という火、印綬が生きて評価される流れとなる。十干の性質というのもしばしば、その方向性と関係する。また、カリスマの命式は干関係が比較的よいという部分も特徴となる。干関係の良好さは、世間との繋がりを示唆するものであるため、干関係が悪ければカリスマはカリスマでも偏りのつよい感じになる。


日主が陰干で、時干に偏官が存在する場合、命式配合によっては、日主が不安を感じやすく、その繊細な内面から紡がれる能力を発揮することがある。ご本人にとっては大変なことで、ストレスも多いが、優れた能力を生かすなどである。

 

 

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■終わりに


因みに私は二十代くらいまでカリスマになりたいと思っていたけど、無理でした。最近「普通」という言葉を聞くと「凡庸」を連想するという意見を多々みたことがある。普通=特別おかしいわけではない、と私は普通という言葉を日常のなかで肯定している。それに凡庸といわれも、資本主義のルールのなかで作られた能力に重点をおいた概念だろう。それを絶対の価値基準のように扱うほうが、人に優しくない社会だろうと感じる。

 

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