内格というと、政治家(ないかく)ではないよ、なんていう寒いだじゃれはおいといて、多くのひとは内格である。従旺格も従強格も全体の二割と数すくない外格のひとなのだ。 「君たちは選ばれたのだ」と誰かの声がきこえそうである。そのなかでも身強のきわみが従旺格と、従強格である。ではその二つの個性のちがいをみてみよう。
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目次
まず内格と外格の性質のちがい
ここでの説明は外格とよばれる運気をしるうえで、非常に大切な内容になる。外格のもつ変則的でダイナミックな性質をしろう。
内格=普通各局といい、外格=従格、もしくは特別格という。 このようなネーミングがあらわすように両者の個性はまったくちがっている。
内格は個人で、一定の運気調節ができる、いわば、扱いやすい運気の持ち主といえるのだ。ふだん怒ってばかりで不和が生まれたとすれば、それを改めて和解し、悪いことをしたとおもえば、その行いを反省して、自己管理を行い持ちなおしがきくという性質だ。
いわれてみればふつうのことだけど、内格のひとは、世の中には一定数、そのふつうのことが当てはまらないひとがいるということを意識してほしい。なぜ、内格はふつうのことができるかといえば、木、火、土、金、水の五行説とは五行のバランスがよいからだ。
外格は五行がかなり偏っているといえる。たとえば水と木ばかりで、ほかの五行が命式にないなどのケースだ。 その偏りは運勢にもあらわれ、自己の行いを見直すより、いっそ偏った運勢に身をゆだねてしまえ!と開き直おってこそうまくいく。
以前、有識者のタモリさんが「反省しない」と語っていたのは有名だが、外格のひとにはそのまま応用してほしい。外格は万事塞翁が馬をこころがけることで、変則的な運気の波を乗り越えていけるのである。
環境に例えると内格はある程度じぶんの体温を調節できる、いわば家のなか。
外格は、家がなく、外の天候次第。
世の中いろんな生き方をするひとがいるが、それも納得できるのではないだろうか。
従旺格と従強格の性質のちがい
上記では外格のもつ性質について触れたが、ここでは、ともに゛極身強゛に位置する二つのちがいをみてみたい。
まず、ともに命式の比肩(ひけん)、劫財(ごうざい)が月令(生まれた年を後押しする命式)を得ており、官サツがない。日干(じぶん)を弱める働きをする星がない。従旺格は、比肩、劫財の恩恵をいかして生きる。従強格は比肩、劫財の恩恵をいかしつつ、印星の助力を得て生きる。
と、四柱推命形式で説明させてもらったが、正直ピンとこないひともいるとおもう。
なので、シンプルに説明すると
従旺格=じぶんのやりたいようにやって成功するタイプ
従強格=ひとの援助を受けつつ、じぶんのやりたいことをやって成功するタイプ。
従旺格はそれこそ、マイペースに個人のちからを発揮することで、周囲から自然なかたちの恩恵をうける。ゆえに俳優や自営業など、じぶんが先陣をきって行動する道に進むべき星といえる。まさに人生最強モードだ。
従旺格のマイペースさはじぶん勝手という意味合いより、総合的にみて、その人物事態が周囲の環境となる意味がつよい。それほどひとを惹き付け、積極的に行動するパワーがある。個人のちからで人生を突破していく。
一方従強格は、従旺格のように、やりたいことをやっていなければ、満足できない性質があるが、そこに他人が絡んでくる。良縁といおうか、そこから得られる助力によって、本来のよさが引き出される。
従強格は、マイペースになりすぎてもだめで、我慢して合わせすぎてもだめ。そこは、ひとへの感謝をしながら、直感の働く道を模索するというのが性分に合っている。研究や学問などの追及が向いているだろう。
個人のパワーを発揮してこそ開運していくのだが、ひとからの助力の恩恵を忘れてはいけない。この部分が従旺格と従強格の質のちがいと方向性を変えるところだ。
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内格からみた両者
内格から両者はどのような印象を受けているのだろうか?
「なにを考えているのかわからない 」という部分が大きい。
この両者は、激しい運勢の波にさらされ、ふるいにかかって残ったものの価値を熟知しているため、表面的には誰とでも合わせられるのだが、内面は価値観を共有できる相手を探している。誰か、第三者がいなければ自己証明できないなんてことがないため、ベタベタした関係をのぞむひとからは理解が得られない。
「いくらたくさんはなしをしたところで、縁がなければ離れていくし、縁があれば多くのことばすら必要ない」個人個人ちがいはあれど、多かれ少なかれこのように感じる部分がつよい。
本人たちは潔いため、内格の感受性を、共感することが難しいところが、事実ある。
そして、なんだかんだでマイペースな奴という印象は根づいてしまうのだが、内格との生き方の違いを表しているので、仕方がない部分である。
従旺格、従強格の両者は価値観を理解してくれる相手と出会ったときが一番幸せなのではないだろうか。
おわりに
外格の従旺格と従強格だが、二つは比、劫の恩恵がありながら、生かしかたが異なる。どちらも運勢の波がはげしく、厳しい環境をゆくさだめだ。同時にピンチのときにこそ、楽観的になって、どうにかなるさといえる星でもある。運勢に身を委ねるってなんかいさぎよいね。