てくてくちとせ

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四柱推命−寿命の話/人類はどこから来てどこにゆくのか

 

自分の寿命にあまり興味がない竈ちとせです。一日一日が充実しているなら、長寿という尺で満足は測れない感じる。幸せとは途切れることのない充実だと思う。美味しいものを食べ、ドーパミン刺激を得る快楽は一瞬のものだ。途切れるものを、一生懸命追い続けるような駆り立てられる生き方が私は嫌だ。情報や電子機器から離れ山奥で瞑想していると、自分も景色の一員でしかないことに気づく。景色の一員同士は対外的に分け隔てをすることがないため安らぎが生まれる。今回は四柱推命の観点からみる寿命について。

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四柱推命で見た寿命

 

分別は不幸を生む。勝ち組負け組、リア充、非リア充。お互いを分けて誰かと自分は違うという感覚だ。勿論個々の生命は違っているけど。大自然の中で目を閉じて座っていると、木々の葉は頭に落ちてきて、蚊に刺され、蟻は足を這い上がってくる。私は私という思い上がり、蟻にとって私は景色の一部でしかない。生と死、生から切り離されると思えば死が怖い。同じく人と自分が違っているという前提であれば、隔たりからくる不安に苛まれ続ける。全部が一体で己がその一部なら分別される恐怖は生まれない。生と死は葉の裏表、弱肉強食と共存共栄も裏表、陰陽なのだ。陰陽は万物に当てはまる概念だ。


四柱推命では、大運と命式を合わせて寿命を見る場合がある。寿命の見方が複数あり、必ずこの時期に亡くなるとは判断が難しい。状況を伺うことになる。生も死も、輪廻の一環であると割り切れる人を除いて、まず寿命の判断はしたくない。近しい人物から稀に寿命のご相談がある。理由は、寿命となる時期に目安をつけて、人生設計をしたいという理由だった。実際問題、将来的な死と向きあって、子供のこと、土地や健康費用に関することをお考えになる人はいる。得に現在国の経済が疲弊していることも理由として考えられる。


人生100年時代、あくまで80歳以降の寿命の候補という感覚で見てもらいたい。晩年時期に大運で比劫星が巡るような運は、寿命の判断の一つの候補になる。また、晩年時期に日主の根が、複数カットされるような運、忌神が大過となる場合などだ。他、状況に応じて十二運の弱い星を参考にする考察も存在する。他は命式の用神が弱められるような時期が該当しやすい。ただし、これら条件は絶対ではない。流年を一緒に考える必要がある。


人によっては、因果というものを命式に照らして考えることがある。すると与えられた寿命も因果と関係し、運命のなかに設計されたものとしてみれるだろう。私の祖母が100歳以上長生きで、近年他界したのだが、大運と流年の組み合わせが、「確かに」と感じるものであったと記憶している。


以下97歳に他界された女性芸人の方の命式


年月日時
壬己癸◯
戌酉未◯


大運己亥、流年庚子


八字の理法を合わせれば、ルールと合致する大運流年である。肝心なのは、かなりの御高齢であられたため、こうした理法が成立するのであって、まだ60代などの時期であれば当てはまらないことが多々ある。四柱推命では生まれる前の情報を見る胎元法という理法がある。上記の命式では胎元が庚子で、庚は印綬で母親、子はご本人のことで、母親からの恩恵を得て元気に生まれる情報が出ている。(命式によって胎元は何を伝えているのか、判別できない場合もある。)


誕生が運命情報に記載されているなら、大運流年と合わせれば寿命もそうだろう。寿命が運命と因果関係があり、ワイドな意味で八字の中に因果が含まれているとすれば、命式は輪廻転生という考え方が採用されていることになる。寿命が終わりではなく、次の生を迎えて、新たな八字を授かるということになる。

 


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■終わりに


誕生や寿命などを含めて、八字の配合や大運流年には、悠久というものを感じさせられる。

 

 

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