
自らを生きる屍と語っていた友人がいる。彼は現在経営者の立場だが、過去は日々目標なく、パチンコに通って生活していた。彼は当時の自分を卑下していたが、彼の雰囲気は堂々としており、奥様も「広く、大きい人」と評価している。威張らないが、媚びない、自然体。彼には根源的な部分で自信があった。パチンコ三昧でも学歴がなくても本質的に自信家だったのだ。きょうは四柱推命からみた自信についてのお話。
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■自信と命式
基本的な自己信頼のための自信について五行的にお話する。自信の信とは「土」の五行が該当する。命式に適度に土の五行が配置されていれば、自己信頼に繋がりやすく、自らに信をおきやすい。ただし、水が多くて土が流される配置だと、不安定な面がでやすくなる。土の五行が優位に働く命式で、自らに自信がある人は流されにくく、ぶれにくい。代表的なのがトランプ大統領の命式。これはまず、五行の一理の話だ。
土の本質は、万物を生じる土台であるため、本来突飛な方面に走る必要がない。(通変星の配置によっては、新庄監督みたいな人もいるにはいるが。)土が吉であれば、素の自分と向き合うことができ、自分軸が定まりやすい。
四柱推命では、命式の日柱がつよければ、性格につよさがあり、一定量の負担に耐えて頑張るつよさを持つと考える。これを日主がつよいと表現し、実際につよい人が多い。だが、自信と日柱のつよさという部分は、同列で語ることはできない。また、命式の印星がつよすぎれば、生じられてばかりだから、思考的でなやみやすく自信が生まれにくいという考えがある。これもやはり同列で語ることは難しい。偏った命式であっても、自分の八字に沿って生きる人からは、しなやかな自信が感じられる。
八字の本質からずれて生きれば、本質的な自信が育まれないし、規模が小さくても八字の本質に沿って生きることは心理的にも自信に繋がる。私自身は、不安を感じやすい性格だけど、世間的に自己肯定感と呼ばれる要素だけはすこぶる高い。その理由は、命式に沿わない要素を全て排除してきたからだ。戦闘要因には向かないため、なるべく争い事はしない。記憶力が低いいため、マルチに色々知識をつめない。体力の無理が尾を引くから、長時間労働はしない。お金持ちインフルエンサーから叱責されそうな習慣ばかりしてるが、自分と妻で生活できるだけの生活力はある。
命式において「足し算」で自信を得ようとするのはご法度。明らかに身体技術がいきる命式にて、他方向に、あれこれ手を出し、学歴も語学も、人脈も、とやるより、得意に振ったほうがコスパがよい。命式の観点では八字にない要素を組み込もうとしても、最終的には形にならないため、それらの要素が自信に繋がるという風ではない。人生で、不得意を克服しようとする行いは、大変効率が悪いことがわかる。超絶優秀でない限り逆に「引き算」をして、残っている要因を大切にしたほうが、生き方に自信が生まれる。
美輪明宏さんはアナと雪の女王と、曲が嫌いらしい。あの有名なフレーズ、ありのの〜ままの〜って歌詞に対して、畑から抜いたばかりの大根をさあ食え、といっているのと同じだという。図々しいと。私はこれに対してはもちょっと見方が異なる立場だ。人間の価値は確かに外的要因によって磨かれる。一方で、個が持っている芽と違う分量の水や肥料濃度では人は育たない。例えば、学歴と仕事ができるできないは比例しない。私と同じ職場で、大学卒業の人で、仕事ができないとかコミュニケーションがとれない人は実際いたからだ。
本人が、勉強嫌いだから中学校を卒業して、何かの職人になりたいといったとする。だが、親が反対して、とにかく、高学歴を目指させるというとってつけた装備で固めようとするケースがある。確かに、栗を拾いにいってどんぐりを拾うことはあるだろう。だが、それはどんな道を選んでも同じ。固めた装備が、戦いで生きるか否かは、全然別で、それよりも子供の資質を見抜ける親の眼力が大切だと感じる。本質に繋がらない要素で武装しようとすれば、結果的に自信がない人になってしまう。
世の中で生きるには、世の中的な自分と、本質的な自分との調和をとらねばならない。だが、概して、本当につよい奴は、口でいわないだけで本質的な自分のほうがつよい。本質に沿った枝葉を伸ばせば、パチンコしていようが、一時はうだつが上がらなくても、伸びる芽は健在だ。しかし、本質を無視して、装備の洋服だけを纏うと常に世の中的な自分ののりを続けなければならない。本質的な自己信頼がなくて不安が拭えない。
不安とは、本当は自分の本質でいたいが、生きるために、何らかの支配を受け入れなければならない時に発生する。小さな単位では家族間、友人間、大きな単位では国家間だ。人間は体を持っているため、痛い箇所があれば不安になる。人生から不安を失くそうとするなら、お亡くなりになるほかない。だが、自信とは生きるための保護対象を、みずから蹴れる心理状況から発生する。(経験によって得る自信という定義はこの段落では一旦おいておく。)
つまり心理的に自信がある人は、何かを成し遂げたから、自分に自信があるのではなく、元々自分に自信がある。加えて何かを成し遂げるのは、副産物であり、自信と合わせて、野心や行動力があったという結果だ。ここを、何かを成し遂げたことが、心の成長に繋がり〜………と外的要因だけで因果関係を結んではいけないのである。もちろん軸に沿って枝葉をのばした成功体験は自信に繋がる。
だから、人間は自分の本質と、世間的自分をぶつからせて、温度感をはかり、対外的態度は別として、本心では自分側がちょっと競り勝つくらいが幸せなのだ。私はこのような考えの傾向がつよいため、今自分が持っているものは、墓に入るまでにお借りしているものと定義する。
やや話が脱線したが、つまり、自分の八字の適性に沿って進むことが、心理的な納得にもつながり、精神的につよくても弱くても、理にかなえば自信に繋がる。
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■終わりに
二本道で迷子になる自信ある。