四柱推命『絶』の方については、ひごろより明言できることがあり、つまり、やりたくないことはやるな、直感を信じ、拘束力のあるものから離れよということだ。
かなりアバウトな書き出しだが、平たくいえば、脅威を遠ざけたほうがよいというだけの意味合いと考えてほしい。
四柱推命が統計学であるように、これは35年間「絶り続けた」統計学によって養われたボクの信念である。
みんなに人生のテーマがあるように、『絶』にとっても、ある種の法則性を伴ったテーマが存在するので、それを使命として、考察していこうとおもう。
目次
絶の特徴
お約束だけど、『絶』の説明を簡単にするのを許してほしい。
四柱推命という運命学による12運の一つで、12のそれらは、人の一生を表しており、絶はそのなかでも特殊星だ。
エジプトのスフィンクスが質問する、「朝は四本、昼は二本、夜は三本の生き物はなあ~んだ?」の正体は人間であるけれど、絶の人は最初からさいごまで0本である。
12運のなかで、唯一魂の存在として、存在し、純粋無垢な特徴をもっている。
命式とよばれる四柱に絶が3つあれば聖人といわれるはなしも耳にするし、動物占いではペガサスに例えられ、唯一架空の生き物が当てはまる、そんな存在だ。
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絶の使命
気がつくと、周囲にいるのは、年柱、月柱、日柱、時柱のいずれかに、『絶』が入っている方とご縁があり、友人も妻もそうだ。
みな自然体で、裏表がない人物が多い。
忌憚なく述べると絶はかけひきや、力づくでのしあがるといった、俗世的方法にもっともむいていない。
そりゃそうだ、感性が生まれる以前の魂の状態なのだから。
そんな絶の使命は
「生き抜くこと」
シンプルにそれだけだ。
いや、正確には生き抜くだけでも、人生の完成ということになる。
邪なものを遠ざけ、じぶんの気持ちのあるがままに進み、好きなことをやれば十分だ、と書けば、傲慢に感じるかもしれないが、基本、無理を我慢するより、新しい道を開拓する性分だから仕方ない。
絶の運気は、非常に波が激しいのは、この記事にたどり着いた方ならご存知だろう。
そんな波を、個人で制御するのは難しく、その波に乗ることで、運気が開けるというのが絶の運命的特徴だ。
天才数学者、ジョン・ナッシュも、幼少のころより自身のもつそれが、友人たちと異なることを自覚していたようで、逆に距離をとることで、才能を開花していった。
絶が感覚派といわれるゆえんは、人の表面的なはなしよりも、はなしの裏にある無意識を読み取る能力に優れている。
無意識を読み、真理の探求をする性質をもつ。
その感覚が鋭すぎるがゆえに、アバウトすぎる合理的現実と折り合いをつけて、邁進するのが難しく、個としての生き様をまっとうしてこそ、真価を発揮するのだ。
考えを決めつけられたり、枠にはめられたり、ルーティンを強制されることが、魂の在りかたとしてまるで向いていない。
絶はきれいなものをそばにおけ。
親しめるものを大切にしろ。
こころが納得するように進め。
価値観を大切にしてくれる友を選べ。
そして、こころに負担を溜めるような無理の継続なんかせず、生きて生きて生きて、どこまでも、生き抜くんだ。
本人が気づかずともそういう生き方こそ、周囲に影響を与え、じぶんの運勢を開いていく指針となる。
例え、なにかから断『絶』しても、心配はいらない。
そうやって進み、魂の研鑽をしていると信じて、生きていくんだ。
おわりに
絶とつく漢字はたくさんあり、断絶、絶無、絶妙、あれ?まえにつく漢字一文字が転じるだけで、ずいぶんニュアンスが異なる。
絶ってる状況は、無から有を生み出す状況といえ、絶はそんな運勢をもっている。
人と違ってたってかまわない。
より、クリエイティブに、より、創造的に工夫し、愛と納得のいく人生を選択する勇気をもってよい星なのだ。
絶は結果的に、人生でもっともよく、学び、もっともよく、じぶんを知ることになる。
この記事を読んでいただいたすべての絶持ちの方の幸福を願っている。
これからも絶に関する記事を書いていくつもりだ。