てくてくちとせ

四柱推命について書いていきます

絶2つは聖人の命式


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絶という気まぐれで無慈悲、そして魅力的な運勢をもつみなさまこんにちわ。絶という星は、十二運を一巡したさいごに位置する、魂の状態をさす。魂が一種の「解脱」を体得している運勢という凄く個性的であるとどうじに、宿主泣かせの星である。こんかいのテーマは「絶」2つは聖人の命式だ。さて、その中身を語ってみよう。

 

 

一応絶の説明

 

この記事は絶持ちさんに向けて書いているので、いまさら野暮ったいのを承知で、簡単に絶の説明をさせていただく。

 

絶は古来中国発祥の四柱推命のなかの十二運星の一つで十二運の流れのさいごに位置する。四柱推命は、陰陽思想、五行説、干支がベースとなり、生まれた年、月、日、時間の四本の柱でひとの運勢を占う学問である。

 

絶の個性

 

絶は生まれ持った運勢が極端に衰ええているために、゛ふつう゛という世間的な標準を自身に課すだけでは、こころの底に光が当たらない。

 

年柱、月柱、日柱、時柱のどこに絶を持つのかで、その意味するところが違ってくるけれど、結果共通する部分は「断絶」である。ひと、思考、場所、あらゆる部分から隔たって活躍するという個性をもつ。

 

個性を存分に生かせると、一流のアスリート(元メジャーリーガー鈴木一郎さん)や独自の道へ進んでいく(冒険家の植村直己さん)などして、みずからの場を得る。

 

ただし、一様に絶にとってクリエイティブだったり、芸術的分野だったりする場所に進むだけが活躍するというわけではなく、生まれて培われた環境要因と習慣的要因、根本的な資質的な要因の三つが合致することをやるのが望ましい。

 

それを踏まえたうえで、絶を2つ持つということをみていこう。

 

 

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絶2つは聖人の命式

 

十二運は人間の一生を運勢の数値として表すことができ、胎からはじまり墓に入る。運勢のピークが帝旺の5で、絶は数値0。墓のあとに巡ってくる絶という運勢は赤ん坊でも墓に入った状態でもなく「魂」の状態をさす。

 

ことばは悪いけれど帝旺のように持ちあわせた運勢で、自意識の方向づけによって人生を邁進することは難しい…。(前進の仕方の違いという意味で)

 

進んだとおもえば、どん底を味わう。時柱にある場合は、たえず変化のただなかにあり、さ迷いつづける忙しなさと共に生きる傾向だ。他の柱にある場合もそうだが、じぶんのたち位置がさまざまな環境的、人間関係的な要因で断絶傾向がある。

 

そういった意味で、ほんとに、ほんとに、物事の道筋を0から開拓するスピリットが備わっており、そうした執念は帝旺より強い。絶の開拓スピリットは一日二日でできあがるものではない。

 

登り、うたれ、どん底に落ちて、そこで得た「人生における教義」から培われるのである。自然的、スピリチュアル的、合理的、俯瞰的、直感的なあらゆるものの凝縮形態だ。代表的な絶持ちさんで、人生を謳歌している人物こそがシンガー・ソングライター美輪明宏さんである。絶を昇華して絶りまくっている。

 

その絶が二つある。つまり、なにかから絶たれる要素が複合的に、(環境と人間関係など)存在しており、空亡のように欠けた座標のかわりになるエッセンスが必要だということだ。知的好奇心はもとより、プラスαが必要である。

 

運勢として欠けた要素は抗ってどうにかなるものではない。認めて委ねるしかない。なにかを成し遂げようとすれば、あらゆるさまざまな角度からの理不尽を経験するだろう。

 

ゆえに絶にとって断捨離という作業は不可欠であり、それこそがプラスαとなる要素だ。ひとつの道をつき進むときのコツは「捨てて捨てて、欲することをやめて、望みを得る」と意識することだ。

 

絶の運気は引き算することによって足し算に転じるのである。経験するどん底は、落ちたのではなくって、認知する角度を変えて糧にせよということらしい。

 

ゆえに絶2つを包括できたときには、その人物は悟りを経て聖人の域にいるだろう。あらゆる観念的束縛や偏った自意識にとらわれず羽ばたいていけるはずである。

 

 

おわりに

 

絶という星について、これまでたくさんの記事を書いてきたけれど、いつも、まだまだ書き足りないという気持ちになる。それだけ魅力的な星であり、周囲の絶持ちさんとの意見交換は楽しい。周囲の絶持ちさんたちの生き方はすでに、ある種の教義をみにつけ、じぶんなりの人生哲学がある。そして、どん底を経験しながらも気持ちが明るい。これからも絶の情報を発信していきたい。