てくてくちとせ

四柱推命について書いていきます

変わってる人必須|絶は偏印との組み合わせで最強/前向きになれる


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偏印という響きからして、なにやらいかにも偏った雰囲気満々なんだけど、実際にそうなんだから見も蓋もない。印綬と偏印どちらも知性の星であるのだけど、印綬がこれまで歴史的に受け継がれてきた研究分野などに関心を示し、自然な形で学びに入るのに対して、偏印は感覚派である。

 

おれの知りたいことを、好きなスタイルでやるぜ!というのが偏印で、興味ないことには見向きもしない。めっちゃきままである。

 

日柱絶は魂の存在で、こちらもまた、異質中の異質な個性の持ち主で、この二つが合わさればどうなるかと、まるで吉備津の釜の吉凶を知るような心もちになるのではないか。

 

 

絶と偏印が合わされば最強

 

絶と偏印が合わさるというのはつまり、ワンピースの黒ひげが、本来の能力ヤミヤミの実+白ひげのグラグラの実の能力を会得したような状態といえる。

 

この記事にたどり着いた読者にいまさら説明するまでもないだろうが、絶は、人間の一生で表現された12運のなかの魂の存在である。生まれてもいないのだ。そんな絶を日柱にもつ方は、幼少期より人と変わった個性を有している。物質的生き方より、精神的生き方に価値観を見いだす特徴があるのだが、そりゃそうだ。 魂ですから…。大事な部分なのでもう一度。

 

日柱絶は魂の存在だよん

 

そんな絶と、超感覚派の偏印が重なると、まるでコーヒーとミルクが出会ったかのようなインパクトを生むのは間違いない。

 

ところで偏印という星は、日柱を強める働きがあるのをご存知だろうか?

 

ミルクが合わさり、コーヒーの長所を伸ばすのだ。クールなコーヒーさんの柔らかなギャップもえというやつである。

 

絶も実は超感覚派である。直感力が高く、人の無意識を理解する力がズバ抜けている。また従来まで誰も渡れなかった道に、簡単に橋をかけるような、新感覚の想像力がある。また既成概念に縛られないのも特徴だ。パンがなければブリオッシュを食べればいいじゃない(ブリオッシュはパンの原材料より安かったために生れたことば、パンがなければお菓子を食べればいいじゃないは実は正確な表記ではない)である。

 

お!

 

やっとるなあ!いろいろ飽きたからこっちきたわと、そこに偏印さん登場。

 

貴殿にワシの、好きなものにだけ、興味があるものだけに邁進する能力と、知的好奇心を追及する粘り強さを与えようではないか!

 

絶「!!やべえ、発想がクオリティ高杉さん」

 

実は絶は多彩である一方で飽きっぽく、いろんな分野に着手したがる傾向があるのだが、偏印の探究心が合わさることで、着手することをしぼり、ほんとうに魅力的だと感じる個とのみに邁進していく。

 

偏印は、興味を持つ幅が、印綬ほど広くはないため、学ぶスタイルは唯我独尊である。そのため、絶のなかにある魂の信号からくるオリジナリティーを遺憾なく発揮することとなるだろう。

 

クリエイティブな仕事、作家やミュージシャン、あらゆる芸術関係の仕事、新たな分野の開拓、0から有を生む分野にチャレンジするとよい。

 

一方で吉面だけが存在する訳ではないのは、ここまで書いたのだからご報告せねばなるまい。絶は運気の波が激しいのはご存知だろう。絶+偏印のよさである、天衣無縫さが、周囲にわがままという判断がくだされば、吉の運気は変化してしまうということを知っておいてほしい。

 

だがやはり、そんな短所含めて天才の星の組み合わせなのだから、不都合も一興くらいに構えていてほしいものだ。

 

STEEL・ball・runの、疾走中の愛馬ヴァルキリーの走り方のクセを指摘された時の、ジャイロの名言「クセなんか治さなくていい。俺とヴァルキリーだけの道をゆく」で、一向にかまわない。

 

 

  

おわりに

変わっているという自覚がある100人の人には100通りの個性を活かす道が存在する。こんかい書かせていただいた絶と偏印の組み合わせもその一つだ。

 

もちろん相性には、コーヒーとミルクのような関係も、DIOジョースター家のような関係も、どちらにも転びうる要素はある。

 

肝心なのは、吉面が現れるときよりも、悪い面に直面した場合だ。そんなとき、その決定的な出来事にじぶんがどんな意味をつけるのかが大切だ。

 

そういう姿勢こそが、自身を延ばしていく。

 

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