てくてくちとせ

四柱推命について書いていきます

天才の発想/スティーブ・ジョブズ


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スティーブ・ジョブズの開発したiPhoneは、企画の時点で酷評をうけていたのが、いまとなっては嘘のようです。

 

酷評の理由として、速度の遅い通信システムを仕様していること、また、従来のガラケーと異なり、パネルタッチの操作という斬新なアイデアからです。

 

ニュートン万有引力を説として唱えたときの当初のような判断が下ったのでしょう。

 

しかし蓋をあけてみれば、タッチスクリーンは様々なことができ、また、タッチスクリーンにある仮想キーボードにもみなが慣れていった。

 

天才と呼ばれる人物は常に、先を先をみている。

 

いいすぎかもしれないが、iPhoneは、持ち歩きができるパソコンであり、その勢いは今後ますます加速するでしょう。

 

より、軽く、小さく、で、また従来指摘されていた本来アウトプット向きの端末を、いまや、万能のインプット、アウトプット端末として、

 

携帯電話をポケットにいれて、歩ける時代となりました。

 

iPhoneの販売台数はテレビの販売台数を越えており、車の販売台数の四倍以上です。

 

こんかいは、そんな天才たちの視点についてお話させていただきます。

 

 

 

 

天才の考察

 

アップルは機器、装置、道具をつくる

 

見出しのように、アップルはデバイスをつくることに、優れており、Googleとの関係も良好でした。

 

一方、Googleはソフトウェアをつくることに精通しながら、端末をつくり、他の面でも消費者と繋がっていきました。

 

そして、「スマートフォン」は一つの時代を定義し、動画、テレビ、DVD、ネット、さまざまな分野に影響を及ぼしました。

 

エリシャ・グレイはグラハム・ベルに特許二時間の差で、知名度をもっていかれてしまいました。

 

天才たちの視野は、「長期的」とか、「先進的」という発想を超越し、開発者側からの斬新な感性をもって、ふつう一般的な観念を啓発していくものといえます。

 

時代が彼らを想像し、彼らが時代を想像したといえましょう。

 

まさに、点と点がつながり線となり、それは過去をふりかえらねばわからないのです。

 

スティーブ・ジョブズは「ヨギ」の本 を愛読していました。

 

ヨギとはサンスクリット語で「サーダカ」といい、ヨーガに登ろうとするものを指し、行為こそが「カルマ」であるという考え方です。

 

https://www.studio-yoggy.com/welcome/yoga/

 

スティーブ・ジョブズはヨガの真髄である「日常の探求」を実践しており、スタンフォード大学での伝説の公演「ハングリーであれ…」の内容にあふれていたように感じます。

 

天才とは、無から有をつくりだす人物といえます。

 

それは、計算や理屈ではなく、「カルマ」から生れた要因であり、結果的に個性の放出だとおもいます。

 

統計と概存の価値観のもと、迎合した゛最新゛を追及すると、それは古いのです。

 

精神的に、森羅万象との繋がりがあってこそ、有を生み出す、無の存在にアクセスできるのではないでしょうか?

 

世がそれを受け入れるかどうかは二次的問題であり、結果にすぎないのでしょう。

 
天才の発想地点は無、だれに認められなくとも、己自身の指標があり、それが、世の既成概念と一致するとは限らないわけです。

 

 

ヨガの内面世界も、禅の内面世界も、己の無意識を理解し、その内面が、どのような小さな因果(カルマ)が関わっているのかを考察します。

 

カルマを既成概念上の理解で済ませてしまうと、偶然とか、運とかと解説してしまいがちになります。

 

合理的で、先進的という発想も、瞬間的なものでは意味がなく、それだけでは、世をリードできません。

 

やはり、根本的なこころがまえが、一般的ではなく、日常的に、故意に、その部分を発揮しているということでしょう。

 

「天才」とよばれる人々の感覚的なものが、むしろ、既成概念と一致しないからこそ、世をリードしていくのでしょう。

 

「天才」とよばれる人々は、一種の森羅万象の必然性をベースに、゛新しい゛と解釈されるものを開拓しているのではないかと考えることができました。

 

現在は、個性をおさえ、世に順応しようとしなければならないことが多く、自身の内的世界に没頭する瞬間は少ないでしょう。

 

しかし、内的世界に没頭することは、決して孤独な時間ではなく、自身を理解する時間だと自覚しておくことが必要ではないでしょうか。

 

 

 

 

まとめ

 

歌に、友達100人できるかな?というフレーズがありますが、現実的にそれは正しいのでしょうか?

 

天才とは天性の才能、生まれもった才能と定義されていますが、個人的には、それに加えて、本人の気質と環境要因が天才を育てるとおもいます。

 

幼少期の環境は選べませんが、気質の理解というものは、本人でも可能でしょう。

 

天才数学者とうたわれる「ジョン・ナッシュ」は学生時代から、じぶんの個性が、周囲と相容れないと理解しており、自ら距離をとっていたようです。

 

晩年、精神的にまいっていましたが、「治療することは本来のじぶんでなくなる」と、否定的見解をしめしています。

 

それは、これまでの人生の因果(カルマ)を理解しているから発せられるのではないでしょうか。

 

現在よりももっと、はるかに、人々が個性を活かして活動できるようになればいいなと感じています。</p