受容の繭

こころ軽やかに生きる内容を記していきたいとおもいます。

仕事にストレスは必要ない/ストレス思考さよなら

 

 

よく仕事における忍耐とか我慢の大切さを耳にします。確かにやりたくないことを一生懸命やることで、養われる類いの精神力はあります。が、実際にはある種の、我慢する必要がないことや、忍耐力を使う必要がないケースも存在します。こんかいは忍耐というテーマで考えていきましょう。

 

忍耐力といっても種類がある


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 出社会には耐える必要がないことがある

 

ぼくたちは人と共存して生きている以上は、協力が必要だし、不利益を被ることだってあります。そんななか、ぼくが考える耐える価値のある事柄は、“じぶんのために前向きに前進していける事柄“です。じぶんのためになる忍耐であれば、人は積極的になれるでしょう。例えばスポーツで向上したいから、一生懸命に反復練習をするというのは、主体的な努力なわけです。じぶんのためであり、じぶんの未来に繋がる忍耐です。忍耐であり持続力であり、人が勝手に名称をつければいいんです。 一方で耐える必要のない事柄は、充実感がないことを繰り返すことです。人にとって、一時的に仕事ができることよりも、長く仕事を続けられることが大切です。ちなみに個人的には仕事というものにストレスは必要ないと考えています。人間一人にできることは限られてますから、仕事に忍耐を求めるよりも、できない理由を取り除いた方がよいのです。

 

仕事に精神力は必要か??


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 これは結果論です。

 

従事している本人が、鼻歌を歌いながら仕事をしていようと、凄まじい集中力と、忍耐力を宿している場合もあります。別におもいつめなくとも、軽いこころで仕事に望んでもよいのです。人からみて凄まじい精神力を使ってるようにみえる場合であっても、本人は楽しんでいる場合もあります。仕事に切羽詰まるような雰囲気が必要かどうかというのは、これは強いることのできないものです。一種の連帯感を共有するよりも、個人のポテンシャルを尊重することが理想的だといえます。結果として業務を成し遂げる精神力(集中力)が必要なわけであり、理不尽さに耐える忍耐力が必要なわけではありません。その部分の兼ね合いをどう処理していくのかは、本人の自由意志にゆだねられています。社会でじぶんを成長させるという真の意味は、自由意志で積極的に行動した結果に得られるものだと、ぼくはおもいます。また、人と同じことをしないという意味は、人と同じ土俵で比べ合いをせず、自身の方向を見いだすことではないでしょうか。

 

 まとめ

 

ものごとに対する忍耐力は結果として必要ですが、ベースとして活き活きと活動できる動機が必要です。動機は生き方の縮図であり、動機によって生き方が決まっていくからです。忍耐力というものはじぶんを活かすために必要なものだとぼくはおもいます。