受容の繭

こころ軽やかに生きる内容を記していきたいとおもいます。

仕事で怒る必要はない

 

 

多くの仕事は「テトリス」だとおもっています。はめ込む必要がある場所に必要なパーツを入れる。会社務めをしていると、仕事を選べません。つまり、決まった行いのなかで、相手をジャッジするのは変テコな話だとおもうのです。そのような発想は想像せいがなく、一種の自己承認欲求の表れでしょう。やることが決まっているなかで、ミスをつつき、相手を怒りとばすのは、その人のせい格だとおもいます。仕事から離れた場所での人付き合いの姿勢にこそ真の人間せいが発揮されるでしょう。仕事場でこころがけるのは、お互い他人どうしであり、道で出くわしたとき挨拶できる関係でいることです。それは人間の品格という部分で、もちつづけるべきものです。

 

怒るのではなく、できない要素を取り除く


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人によって、怒るということで、存在を誇示する手法が垣間見えることがあります。怒られた側はどうでしょう?傷つくし、無力感をおぼえるのではないでしょうか?ボク個人としては、仕事場で徹底して怒らないようにしています。怒ることは体に悪いですし、お互いの関係にもよくありません。仕事をする人の多くが仕事内容を選べないのであれば、ストレスなく、仕事したほうがいいじゃないですか。例えば、生命に関わることなら別ですが、仕事の同僚といえど、他人同士です。お互い、地位や肩書きに関係なく、心地よい距離感を保ことが大切です。

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO05269880W6A720C1000000

 

ミスを怒るのは結果論で、想像の行き止まりです。怒るよりも、その人のおかれている環境や、気質を理解してあげるようつとめるほうが効率的です。緊張が原因なら、緊張をほぐしてあげるようにすればいいのです。

 

仕事は社会的協力活動

 

ボクは待遇のよくない会社には残りません。そして、価値観が近い人々と仕事をします。もちろん「テトリス」も大切ですが、想像的な観点も重要です。会社のためが、働く本人のために、どれほどマッチしているかが大切です。想像するとは、「テトリス」をしながら、それ以外の部分を協力して、充実させる行いです。お互いの利益率追及以外にも、お互いの時間の密度を支え合うとか、人間ならではのことが本質的には大切です。

 

怒らないでいたら

 

ボクはまず、人を信じます。信じるので仕事場でも、その人の主体せいにまかせてみます。(もちろん取り返しのつかないことは別です)こわい風を装うよりも、信じて、任せてみると大概うまくいきます。怒ることで、仕事が上達することはありません。怒られながら成長する人は、その人自身が強いということです。怒るよりも、任せるほうが「主体的に」学習する意欲が生まれます。怒る人も、怒ることで承認欲求を満たせますが、怒られる人も、人としての承認欲求はあるのです。生れた環境も価値観も違っており、それは認めるべきです。基本的に、人が同じ存在である人を怒りとばしてよいわけがありません。

 

怒らないでいるほうが

・人は主体的に動く

・想像的になる

・コミュニケーションが円満になる

・価値観を認められていると感じられる

・本人がやりがいをみつけられる

 

怒ることは本人の健康にもよくないですし、怒られたほうも気分がよくないです。人と人が品格をもって、お互いの価値観を認め合うことが大切です。仕事をしながらも、仕事以外の部分の密度を高めようとする、価値観が普遍的になればよいなとおもっています。</p