阿刀田高さんの小説にある、造語ですが「可不可」ということばが印象的です。
可もなく、不可もなく、で可不可、もちろん作家のフランツ・カフカを文字ったものですが、人間関係に潤いを与える比喩です。
四柱推命は、人の特徴を、火、水、土、木、金に例えた「陰陽五行」が用いられており、それぞれに相性が存在しています。
例えば木は燃えると火を生じることから、相性のよい「相生」の関係です。
逆に木は土の養分を吸い上げるため、二つは相性の悪い「相剋」の関係といえます。
優しさや親切さも、受けとる側、送る側双方に過不足が生じないことが、人間関係を持続させるコツです。
同様に、いつも損ばかりさせられる、させる関係も長期的にみて、成り立ちません。
また人付き合いは、断絶してしまえば、生きることが難しくなるでしょうが、密度が高すぎると疲労してしまいます。
人付き合いのバランスが天秤だとすると、真ん中で止まっているのが、ちょうどいいのであって、偏りは過ぎたものといえるでしょう。
人間関係に過不足が生じるのは、一つの捉え方として、環境から生じた、自己承認欲求の満たし方の違いといえます。
「可不可」である関係を持続させるには、陰陽五行の「相生」の関係が望ましいのです。
こんかいは、四柱推命の陰陽五行に触れて、人間関係の考察を行いたいとおもいます。
陰陽五行
火:季節は夏、燃える火、その輝き、熱の象徴
土:広大な大地、その地から生成されるあらゆるものの象徴
金:季節は秋、鋭利な金属、その属性、涼しさの象徴
水:季節は冬、流れる水、水に関わること、冷たさの象徴
そして、これらは、陰陽とつくように、天と地のように、異なる関係がうまく、相乗効果となっているという思想があります。
原初はカオス(混沌)
であった気が二つに別れ、澄んだ気は天に登り、「陽」となり、濁った気は地におりて「陰」となったという、いわれがありますが、陽がよくて、陰が悪いという話ではありません。
ただしおなじ属性でも「陽」と「陰」では性質が変わってきます。
「陽」の場合は、運勢において、いいこと、よくないこと、何事も直接的に現れ、我が強い傾向にあります。
「陰」の場合は、運勢においては、極端ではなく、持続性があり、柔軟な傾向にあるようです。
「相生」と「相剋」と「比和」
「相生」
木と火(木が燃えて火となる)
火と土(火は灰になると土に還る)
土と金(土は金を生ずる)
金と水(金は溶けると液体になる)
水と木(水は植物を育てる)
「相剋」
木と土(木は土の養分を吸い上げる)
土と水(土は水の流れをとめる)
水と火(水は火を消す)
火と金(火は金を溶かす)
金と木(鋭利な刃物は木を切る)
「比和」
おなじ属性同士(可不可)
この場合は、比和の関係も「可不可」となりますが、実際には、同調も苦になる場合もあり、基本、相生の関係が「可不可」といえそうです。
数字は1、2、3、4、5…指をおって数えて、それから…と続きますが、ウィスキーの宣伝では、「何も足さない、何も引かない」と謳われ、それが正解です。
加算や減少という感覚は、結局のところ、「相生」とはならず、0の伸縮性が有機性につながっていくのでしょう。
増えも、減りもしない。
天秤は真ん中(0)の状態にあり左右の重さが等しく変化するという、例えが適切かもしれません。
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まとめ
人付き合いの過不足は、少ないほうがいいというのは持論となりますが、やはり、日々「相生」の関係を歩み続けることが、人間関係に潤いをもたらすでしょう。
反発しあい受け入れないという状態は、ひずみを生じ、お互いを剋してしまいます。
自己完結的な人にとっては、他者を巻き込む人とは相性がよくないでしょう。
さきにあげた承認欲求の算出の仕方が、人によって違いますから、その算出式が近い関係がうまくいくのです。
また、自身の属性を知って、その性質を生き方に反映させることは、有意義といえるかもしれませんね。
さいごまでよんでいただいて、ありがとうございました。