ぼくは極身強である。そんなぼくの周囲の女性の命式をみてみると、「あれ?ほぼみんなが身強にあたるんだな」と気づいた。身強は身強とシンクロニシティするのだろうか。妻もその友人もそうであるが、ぼくの職場の女性も身強で、たくましい。そんな身強の彼女達の生態に迫ってみたい。
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身強と身弱を一応説明すると
この記事にたどり着いた方ならご存知だろうが一応の説明をさせていただく。身強身弱とは四柱推命における本人自身のエネルギーの強弱をあらわす。身強であれば本人が強く、また運勢の勢いもつよい。身弱であれば本人が弱く、運勢の勢いもよわい。
で、四柱推命も流派によって身強身弱の解釈が違っており、身強が身弱よりよいとする説と、身強も身弱も生かしかた次第で吉であるとする説の二種類だ。
こんかいのおはなしでは、後者のほうの説明が適当かとおもう。 なぜなら身強の女性のテーマにおいて、常に身強が吉に転ぶとか、吉の傾向にあるという実感はないからだ。そしてもちろん凶意であるというつもりもない。
だが過ぎたるはなんとやらであり、身強、身弱でも、そのエネルギーが偏りすぎた状態を、極身強(ぼくがこれにあたるのだが)「極身弱」と表現する。身強も度をこえると、やってくる運勢の波も激しい。例えばよい会社に就職したのにいきなり、解雇となったりと、じぶんの意思だけではどうにもできないことがおこりうる。極身弱もまたしかりで、運に恵まれず、引き立てをうけることができないとか…。(特別格に該当すればまた違ってくるのだが)
身強の女性の基本生態とは
身強の女性に対する共通する特徴は自立心がつよく、アクティブに行動したいという部分である。自身のエネルギーが高いために、積極的に行動したい欲求がある。 人間関係も、親しい間柄以外でさズブズブにならず、付かず離れずといった感じだ。
男性の身強どうように、束縛されず自由意思で動いていたい。そのため、対人関係において、群れるということを基本的に好まない。唯我独尊、独立独歩である。
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身強女性の性格
明るく裏表がないという性格のひとが目立つ。経験上、仕事や対人関係において誰かを罠にはめたり、姑息な手段を用いて取り入ったりするのは、゛個人゛が弱い場合が多い。身強の女性は陰湿なことは好まず、不利な対人面においてめ、真っ向勝負を挑む。
挑まれた場合は相手は負けてしまう。負けた相手は徒党を組む。相手側は「じぶんをこんな目に合わせて許せない」と感じるかもしれないが、小細工ではどうにもならないのだ。身強女性は強いからである。生物としては男性の身強よりもつよい。 ふだん穏やかなひとでも譲れない局面は絶対に譲らない一面をもつ。
個人的意見だが、身強の女性は基本性格が優しい。それは女性としてというよりはひととしての優しさである。平等的な感覚の持ち主であるため好感がもてる。
身強女性はキャピキャピしない
キャピキャピする行動に心底共感できないのが、身強の女性である。そういったことに必要性を感じないのだ。キャピキャピするというのは一種の承認欲求の満たしあいである。身強の女性は一人であってもある程度は承認欲求を満たせてしまう。
むしろ群れて価値観を束縛されることが耐えられない。身強の女性は身強の女性と仲良くなる傾向がある。それは相手の価値観を尊重できる間柄だからだろう。
身強の女性の無敵時間
男性の身強もそうであるが、女性の身強はピンチにつよい。それはなにかの出来事に対しても、対人関係においても、腹をくくったとき、不動のこころが宿る。この間の身強は、ストレスへの耐性、物事への決心が固まって動かない無敵時間である。
身強の女性の苦手な部分
身強の女性は、確固たる意思決定ができるのだが、一度決まったらそれに執着するところがある。ゆえに物事にはほかの捉え方があるんだ、と意識を変えることが苦手なのだ。あまり物事に意固地になりすぎると、周囲からは頑固者とされてしまう。
つねひごろ、意思のつよさはふだんはじぶんを強める要素となりえるのだが、ときにそれが目の前を曇らせてしまう。ひごろから、物事に対して俯瞰的になるように意識するだけで、そのあたりはずいぶん変わってくる。
おわりに
身強の女性はつよい。彼女たちは生物史上もっともつよいのではないかとおもえるほどだ。タフネス、持久力、ストレス耐性が並外れている。身強の女性がもつそれらの特徴をいかすには、周囲への気づかいを忘れないようにして過ごすことだ。そうすれば、持ち前の長所が光るのである。