てくてくちとせ

四柱推命について書いていきます

一般人が理解できない「戌亥」空亡の内面世界と対面|一人の天才と出会って変わったこと


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ネットを調べると命式に刻まれた「空亡」についての記事はたくさん書かれているが、生々しい本質を掘り下げた内容はすくない。多くのひとは表面上◯◯空亡をしってはいるが、空亡期は運気が~…というはなしに終始するだろう。戌亥空亡を命式にもつひとはカリスマといわれながら実際にどんな人物像が浮かんでこないひとのために、実録を兼ねて真相に迫ってみたい。

 

 

戌亥空亡の一般的な説明

 

戌亥空亡に欠けているのは「家系の流れ」、「精神面での支え」 だ。
 

六つの空亡のうち、もっとも孤独であり、否が応でも0から有を生み出すことが使命である。

 

じぶん一代で新しい運命を切り開く星であり、誰も便りにできず長い道を歩いてゆく。午未も内面に孤独を宿しているが、この星の場合は、支援者の存在が薄い傾向にある。じぶんの人生を常にじぶんで背負う宿命にあるといえるのだ。

 

その過程において、よくもわるくも独自の人生観をもつにいたる。

 

性格は一見おおらかにみえるのだが、内面は繊細で、複雑を極める。なめてかかると内面の激しさが顔をだし、周囲を驚かせる。謎の多い人物である。

 

戌亥の世界はどんなものか?:行動面のはなし


 

【命式:戌亥空亡】の彼と出会ったことで、゛色゛が失われたぼくの日常に原色の灯火がついた。それは数年経過したいまも、30代初頭、人間として生きるための道しるべとしてぼくの内面に染み入ついた。

 

立付の悪いアパートには風が吹き込み、毎日毎日が、すさんだ人間関係のなかで色褪せていた。それもあと数ヶ月、この土地からおさらばして、土地を移り住むのだ。「さて初仕事にいきますか」

 

ドアをあけるとこの日の風は干し草の柔らかい匂いを運んできた。玄関先で糸トンボをみつけて、これからなにかよいことが起きる予感がした2018年の夏のことだった。気持ちはかるく、なにも失うものはない。

 

ブラック企業と呼ばれる環境から解放されたものの、引っ越し賃の関係で、ぼくはもう少し働かねばならなかった。先日採用が決定した農園のバイトにでかけるのだった。

 

彼はぼくの上司にあたる人物だった。出会ったときから、゛なにか雰囲気゛に違和感を漂わせていた。当時ぼく自身疲れはてていたため、そう感じたのかもしれないけれど。

 

見た目はふつう。中肉中背で、休日は友人と単車を転がす趣味を満喫するいたってふつのひと。なのに、彼の違和感の正体が 、経験を通しても理解に及べない。

 

 

そんなぼくのすべてをお見通しというような、彼と同じ空間にいるとまるでこころを読まれている気分になる。透き通った彼の目は、心地よいような、落ち着かないような、しかし彼のことばや、行動は当時のぼくのこころを救ってくれたのが事実だ。

 

彼がただ者ではないと感じた、戌亥空亡の面白いエピソードをご紹介したい。

 

農園では作物に群がる蝶を網で捕まえるという、作業をすることがあった。広大な農地は夏場の緑とともに、幻想的なほどのもんしろ蝶の羽の白さにうめつくされる。われわれ従業員はこどものころに帰ったように、1日中虫取り網をふる。

 

一回の網のひとふりで、二、三匹とれることもある。五匹も網でうごめく蝶をみただけでお腹一杯、辟易してくる。その横を彼がゆるやかな動作で網をふりながら遠ざかっていく…。じぶんのことを棚にあげて、誰かが網をふる後ろ姿をみると、仕事というより遊んでいるように感じてしまう。

 

夕方になりぼくは蝶をとったあとで人数分の網を川で洗っていた。なんだか複雑な気持ちだ。と、ふと何気なく顔をあげると彼が立っている。(いつもあまり気配がなく、気づけばちかくにいる)

 

無言でじぶんの虫取り網を渡してくる。ぼくは無言で受け取り、彼は去り、去ったあとに網のなかで蠢くかさ半分以上の蝶の姿をみとめた。目測、五十匹だろうか六十匹だろうか…。検討がつかない。捕獲ということばどおり、手のスナップで捕まえたというのか?

 

流れる川と、数十匹の網のなかの蝶………。もちろんこの網もきれいにせねばならない。川底が黒くたゆたっている。

 

戌亥空亡の行動やことばには、メッセージ性がある。そのときには気づかず後で考えて理解できることが多い。じぶんが相手にしている対象を熟知している。それが蝶なのか、猫なのか、人間なのか、なにに触れながら自身が生活しているのかを反映させている。

もう一つ、戌亥空亡の行動面のエピソードをご紹介したい。

 

 

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戌亥の世界はどんなものか?:行動面のはなし2
 

 

彼の家は、農地の立地のなかに点在するというつくりで、自営業で自宅兼職場というようなケースを想像してほしい。農地にはわれわれ従業員の休憩室と、彼の家、それを囲う自然の姿があって、どこか浮き世離れしていた。

 

仮になにか相談事があっても、われわれは基本的に゛会社と他人の私生活゛の線引きを守らねばならない。だから自然と少々の問題は従業員同士の知恵をしぼって解決した。もし困った場合は不思議と彼は休憩室にいあわせており、家の呼び鈴を鳴らす必要はなかったのであるが。

 

われわれ従業員が絆を深めたのは、この立地条件も関係しているのではないかと、いまにしておもえば感じる部分である。ある日、ある事情でぼくだけが出勤することになったのは、務めだして二ヶ月くらいのこと。

 

農地に足を踏み出したぼくは、休憩室で短いメモを作成して、足早に会社の軽トラに乗ってでかけた。メモには「昨日の仕事の続きをしてきます」簡易なそれだけ書いて、指でちぎったセロハンテープで休憩室のドアに張り付けたもの。彼の性格からして、自宅の呼び鈴を鳴らされるのは嫌なはずだと、まるで彼の彼女のような心境で考えたすえでの行いだ。そもそもぼくはなにをするのか聞いてすらいない。

 

仕事から帰ると休憩室のドアは開け放たれ、彼が立って、片手でドアを抑え片手で、なかに入れと促す。彼が開け放っているおかげで、あの雑な張り紙が剥がされたのかどうかは確認できない。

 

ぼくの行いに対して彼は、礼儀で応えたのだった。

 

戌亥空亡の、物事への道筋は独特で深い。著名人にもこの空亡をもつ人は多く、独自の人間哲学をもっている。内面は恐ろしく静かだ。水のようにとらえようがなく、土のように周囲の事情を吸収していく。

 

戌亥の世界はどんなものか?:ことばのはなし

 

戌亥の世界は所作のみならずことばにも独自性をはらむ。夏場のあついさかりだ。従業員みんなで仕事の片付けをしていた。運転手は木の枝のようになった草を車に積んで捨てにでかけた。積み込みをすませたみんなはつかの間の休息。

 

さて腰をおろしたはいいが飲み物がほしい。休憩室はすぐそこ。ぼくは人数分の水をとりにでかけた。喉はからから、歩きたかった。四本のペットボトルを持ってみなに配る。が、彼は受け取らず、「俺はいいからみんなで飲みな」といった。いわれて気づいた。

 

運転にでかけたひとのぶんを忘れていたことに。゛一本足りないだろ゛ということは簡単だが、なんてメッセージ性のあるいいかただろうか。

 

戌亥空亡の内面は、どの空亡よりも深い孤独感を抱えている。孤独感は天才をつくるとは感じる部分だ。ボクサーのマイクタイソンは、内面の孤独と葛藤する人物だった。一般的なイメージとは異なるが、それは、初代トレーナーのカスダマトが彼の孤独感に、方向性をつけたためである。数学者のジョンナッシュは幼少期から周囲のこどもたちと距離を感じていた。孤独は、0から有を形成する要素だ。

 

 

じぶんのなかの変化

 

戌亥空亡は人生哲学をつくりあげる天才である。内面の静けさは、悲観でも絶望でもない、諦念と悟りが建設的にかたちづくられている。戌亥空亡は世のあらゆる無秩序的な欲求を退けてじぶんの世界をつくりあげる。

 

ぼくのなかで彼の影響からうけた変化は、これまで機械的にこなしていた人間関係というものの捉え方を一から見直し、あらゆる事象に対して哲学するようになった。

 

そして、たくさんの出来事から意味を見いだす頻度が増えた。世にちいさなことやどうでもよいことなどなく、視野の広がりに応じてみえかたが変わるということだ。