てくてくちとせ

四柱推命について書いていきます

人生に正解も不正解もない‐見いだすものは人それぞれ

 

 

30歳をこえた辺りで、なんとなく、自身の気質を考えるようになりました。それは、じぶん自身が生活をおくるうえで、[正しさ]を求めていないし、物事に正解も不正解も授けていないという気質です。オリジナルの道筋をたてるのは好きですが、観念的に正解を追及すれば退屈と孤独を感じてしまいます。

 

風が心地よく、空はひろがり、鳥のさえずりをきくことが好きです。ただ寝転がってそれを感じるだけで、なんとなく幸福です。あまり、いろいろと欲がありません。人の成長というものが、ある種、個せいに沿う生き方をすることでなし得るとおもっています。


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さまざまな生き方があり、どれも正解、不正解の枠にいれることはできません。あらゆる価値観が、自然なる法則せいをもって、生じているのではないでしょうか?小さな因果をさらに小さくして、因果を発見しようとすることは凄く困難です。人生万事塞翁が馬です。何事も決めつけてかかるのはやめておこうとおもうのです。

 

禅の世界観で、執着を手離すということはよくいわれていますが、確かにそれは素晴らしいと感じます。執着を完全に手離すことは難しくとも、自然な成り行きに、自然に対処ができるようになりたいとおもう次第です。因果の発生状況に対して、無頓着ではいたくありません。じぶんと、自然との円滑さが安心するのです。自身の気質を無視した方向に進むことは、森羅万象の側からすると、有形なる道ではないのではないでしょうか?

 

ボクはオリジナルな指標をもってしても、孤独ではありません。強く孤独を感じるときは、無意識が嫌がっている作業を行うときです。無意識に逆らった方向へ進んでいるときです。人間はどこから来てどこへ行くのでしょう?昔からいわれる哲学ですが、スピリチュアル、または、自然と置き換えてもいいでしょう。結局は身の回りの、小さな因果の集りがそれを教えてくれてる気がするのです。ボクにとっては、一人でいる時間はニュートラルでギアが入っていない状況です。きっとそれは個せいなのでしょう。それとも執着を停止している時間なのでしょうか。

 

個々がどのような感じであろうと、愛と優しさのメロディがあふれるこころもちでいたいものです。 強制力のあるありとあらゆるものは、まやかしだと信じています。目の前の現象を通じて、じぶんのこころがなにを写し出すのか注意を払いたいとおもいます。さいごまでよんでいただいてありがとうございました。