てくてくちとせ

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羽生結弦 渾身の銀/勝負師として超一流の顔をもつ男


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2019年3月23日、さいたまスーパーアリーナで、羽生選手のフリー演技からは、鬼気迫るものが漂っていた。

 

羽生結弦選手の演技はいつみても、どこか他の選手と異なる、独自性がかいまみえ、それが彼の選手としての精神的部分に直結するように感じられる。

 

それに加え、こんかいは、負けられないという強い意志を滲ませていたようにもおもえ、持ち前の集中力を研ぎ澄ませて、終わったころには、すべてを超越したような雰囲気を放った。

 

会場は、圧倒的演技に燃えるような声援がわき、プーさんの嵐がリンクを埋め尽くした。

 

羽生選手の演技から感じられる他の選手との違いは、これまでの集大成を完璧に滑るよりも、つねに演技のさなかに、じぶんの世界を打ち破るべく゛挑戦゛を行っているということ。

 

結果としては、「銀」だけど、右足首の不調をいいわけにせず、ショート、フリー演技合わせて300点越えという快挙を成し遂げた。

 

優勝したネイサン・チェン選手も銅メダルのヴィンセント・ゾウ選手もともに、羽生選手をみて、育った世代だ。

 

演技後のインタビューでは傍らにならぶ二人彼ら二人に対して、羽生選手はつぎのようなことばを贈った。

 

「二人に近づけるスケーターになりたい」

 

男らしいの一言につきる。

 

それとどうじに羽生選手が勝負にかける姿勢を端的にあわらしている。

 

こんかいはそんな羽生結弦選手の魅力を語りたい。

 

 

 

 

 

 

羽生結弦はさきほども書いたように、つねにじぶんの世界の壁を打ち破ろうとする選手で、それが本番であっても躊躇しない。

 

超一流と、ただの一流のちがいはなんだろうと考えた場合、努力、能力、以外に

じぶんに哲学しているかどうか

が肝心である。

 

哲学することは、自身の力で、過酷な道を切り開いて進んでゆくタイプの人間には必須の能力で、本人にしか自覚できない強み、オリジナリティーを生む原動力となる。

 

一時的に勝てるが、途中ガタッと落ちる選手、成績を積み重ねられる選手に、途中わかれてくるのは、そういった部分が関係しているのではないだろうか。

 

そういった意味で、オンリーワンといえる、羽生選手の演技から滲みでる、他の選手と一線をきすもの、それは、勝負への

゛執念゛

である。

 

執念こそが、プレッシャーを打ち破り、さらにそれどころか、プレッシャーを味方につけ、現状を打破してしまうのだ。

 

羽生選手の演技には色がある。

 

羽生選手の演技はアートだ。

 

本人のこころの有り様によってそれらが、変化し、演技が進むにつれその世界観が、完成にちかづいてゆく。

 

そこには観客も、審査員、状況をすべて巻き込む、渦が現れている。

 

この度のスケートで、一位となったネイサン・チェン選手の演技は完璧であった。

 

ネイサン・チェン選手の演技は、羽生選手の後ですべるというプレッシャーを感じさせない楽しさにあふれ、鬼気迫る羽生選手と対照的に映った。

 

ネイサン・チェン選手を支える強さとはなにかと、思案すると、シンプルに

「自信」

ではあるまいか。

 

羽生結弦選手がリスペクトし、また、羽生選手を高く評価する、かつての帝王、ロシアのエフゲニー・プルシェンコ選手は、こんかい羽生選手につぎのことばを贈っている。

 

「これまでの私のスケート人生での一番の過ちは、゛ある選手に勝ちたい゛とおもったことだ」

 

プルシェンコ選手も、自身の世界観のカラーが強く、多くの人々をひきつける演技をした。

 

確かに、誰かに勝ちたいと我欲にとらわれれば、自身の世界観に没頭することが難しくなり、持ち味をにぶらせてしまうのかもしれない。

 

じぶん自身との勝負が大切だ

 

という意味でとらえて差し支えないだろう。

 

羽生選手のように、ストイックに自身のカラーに挑戦する選手は、これからも、ミスをすることがあるかもしれないが、それでも果敢に、魂をこめたすべりをしてほしいとおもう。</p