凧揚げをしていた女子の凧が木にひっかかった。ヒーローになるチャンスだ。幼少期の私は、半ズボンで木を登り凧に手をかけた。瞬間、あっという間に下から先生が伸ばした網によって凧は救出されたのだ。見物していた子供達も、先生も女子もさ〜っといなくなった。凧は救出されたのに、私の姿は間抜けに木に跨り、我にかえるととても恥ずかしくなった。恥ずかしさは怒りに姿を変えて、気の毒に矛先は先生に向かった。ーーー労えよーーー無視するなーーーみたいな事を考えていたと思う。今日は四柱推命からみた毒親についてのお話し。
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■四柱推命からみた毒親
四柱推命には友情と無情という概念がある。友情とは調和がとれることで、無情は情がない意味で、一方的で不調和に繋がる。友情を建設とすると、無情は破壊。
思えば、両親とは仲がよいとはいえなかったし、保育園の頃は先生にイジメられていた。先生を困らせて泣かす子もいたけど、私はそうしたタイプではなかった。当時子供ながらに、すでに確信していた事は大人を信用していないと反抗もできないということ。経験がある人には分かるだろう。無情の剋に対して園ではびくびくしていたし、極力目立たないようにしていた。そんな私が、小学生になり、子供達が見守るなか凧を取りに木に登ったのは相当な勇気だったと思う。
実家はいわゆる機能不全に近い環境だった。父親は自分の話をする事は好きだが、私に興味がなかったし、母親は普段から侮辱的な言葉をよく使った。信仰している宗教を持ち出し、それが真理であること、いかに私が不出来で心がねじ曲っているかを語ることが日々だった。ちょっとした私の反抗期だったのだ。反抗を抑える手段にできる限りの武力制圧を行う。大人は子供に勝つため、子供より優位に立つために残酷なことをする、それが幼心の核になった。家には父親の影響で第三帝国の滅亡というアドルフヒトラー関係の書籍があったが、私はもっと身近な独裁者の姿を見ていた。
父親しかり、自らの劣等感を克服できなかった大人は征服者になるか、個性を持つ人間を気取るかして、神経症的な自己統合をはかるほかない。敬礼。内側で分裂を起こせば、当然他者の存在は不在である。
端から調和する意欲がないものは「無情の剋」である。情のない剋は子供たる日主にとって良いものとならない。
大人になり会社員になっても、相手を引きずり落とす上司がいるわの、人間は防衛のためなら色んなことができちゃう。四十の私も純粋でもなんでもなく、そんな人間の気持ちが分からなくもない。猿と猿のどつきあい、社会がそんなものだから、人間関係の一番の縮図である親子関係だけが健全な訳もない。自分の心の問題に終止符を打てなくて、子供に悪影響を与えるな!といえば、私含めて世の中のほとんどの人は親になれない。
ただし「親も人間」という枠を越えるほどの子供にとっての有害も存在する。直接的な暴力はもとより、過干渉、価値観の否定、ダブルスタンダードなど。仮に命式の印綬が六親の母親になるが、ご本人の命式に印綬が過剰な場合は、子供を生じすぎる(構いすぎる)場合がある。また、月柱は実家の柱だが、そこに洩らされ過ぎるのも、子供の気力の面で問題だ。父親は財星にあたるが、命式の日主にとって有利不利を見る。六親の判断は多岐で、命式判断において一番難しく、私も間違うことがある。
良い、悪いで答えを出すことが真骨頂の四柱推命においても、シンプルに割り切った答えが出せないほど情報が入り組んでいる。仲は悪くないが、心の交流は気薄だったり、一見仲が良さそうでも、内情は違っていたり。それほど親子関係というものが複雑なのだ。
四柱推命的に、成長過程において鍛錬となる剋を受けることは大切だが、日主がダメになる剋は良くない。仮に子供を自分のパーソナリティーの一部のようにして扱うと、そこには子供固有の人格が反映されていない事になる。そうなるともはや、親子の問題の域に留まらず、人間関係の不全の域となる。相手を自分の思い通りにしたい、それは生命への侮辱だ。私は自己肯定感という言葉が嫌いだ。肯定感とは環境を通じて己を知り、自己を肯定し、他を肯定して、自分以外の世界と一体であるから育まれる感覚だ。自他肯定に他ならない。子供の物語でその感覚を身につける第一村人が両親である。
余談だが、今の日本には生きるための哲学がないと感じる。心豊かになど、子供のみならず親にとっても無理ゲーだと常々思う。蒼天航路という三国志の曹操を主人公とした漫画がある。曹操が人材を求めて、現在は乞食をしている、かつての有識者である石徳林に会いにいくシーンが強烈だった。曹操は権力者だから、当然世の権力を求める。そんな曹操に石徳林がいう。ーーー私は3つの宝を手にして死ぬーーー
人を慈しむ心
何も持たぬ暮らし
人の先に立たぬ生
曹操は返す「俺とはまるで違う。」これに対して石徳林はいう「だが同じだ。自分が生きる強さに一点の疑問も持ったことがない。」
貫けよ、といって曹操は去っていく。
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■終わりに
まあええわ、それが私の座右の銘です。
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