てくてくちとせ

四柱推命について書いていきます

「人生ごっこ」を楽しむ絶持ちの生き方


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チャップリンの名言に「人生はクローズアップでみれば悲劇だが、ロングショットでみれば喜劇だ」というのがある。 人生は己の意思だけではどうにもならないことがあり、そんな場合、仕事を辞めた、たくさん失敗をした、いいじゃないかと捉える。絶持ちにとっての人生は大きなクローズアップの連続だ。運命はそれを俯瞰せよといわんばかりに、次から次に試練を与える。

 

 

絶持ちとは

 

四柱推命には十二運で人間の一生に例えたものがある。とうぜんながら、このような説明は、この記事にたどり着いたひとには必要のないものとおもわれるが、はじめて来訪される方がいるやもしれぬので書いておく。

 

<p母の胎内に「胎」として宿り、「帝旺」として運気の頂点を極め、「墓」に入り、そして…魂の状態となったのが「絶」である。絶の運気は壮絶だ。おせじにもサイコーとはいいがたい。この世に生をうけ、魂の状態として学びを深めるために、儚く、切ないほどの理不尽と直面するだろう。

 

そのため性格は、純粋無垢、裏表がなく、物質よりも学びを優先とした、精神世界の充実をはかる傾向が強い。

 

あるいは世の中の物質至上主義的な考えには戸惑いを覚え、ときには、じぶん一人のような孤独を感じるかもしれない。だけど覚えておいてほしい。決してあなたはひとりではないということを。

 

人生という一つの喜劇のなかで活動しているということを。

 

中国ではじぶんに与えられたじぶんの生きる役割を天命と呼ぶ。どなたにも生きるうえでの使命や天命と呼ばれるものが存在するのだ。

 

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『絶』に与えられた使命

 

絶持ちの人生ごっこ

 

世の中、好きなことであれば、一日中つづけられるという人がいる。そんな場合における遊びと、仕事の境い目とはなんだろう。まず大前提として、仕事だからプレッシャーを感じながら真面目に、ミスのないように取り組まねばならないというのは「観念」の賜物だ。

 

鼻歌を歌いながら、ストレスを感じないで、物事に熱中してはならないというルールは森羅万象の世界にはない。むしろ、ある縛りをもうけた活動に従事していれば、じぶんの承認欲求を満たす手段も、他人に対する評価の仕方も、縛りのなかに依存するほかない。

 

ここまでは決して脱線した内容ではないよ。

 

絶持ちは「観念的価値観」に納得いかない感性が幼少期から存在する。

 

絶は限定的な感覚が「苦手」なのである。思考の行き詰まりのように感じるのである。

 

絶持ちは物事に疑問を感じれば感じるほど、創造的な感覚を養っていけるのだ。

 

仮にだ、仕事というカテゴリーで人生を充実させようとした場合、カテゴライズされた内容よりも楽しいかどうか、毎日充実しているかどうかが大切なのだ。ゆえに、選んだこと自体が遊びと受け取られてもかまいやしない。じぶんの感性を頼りに生き抜けばよいのだし、それを誰も責める権利なんかないのだ。

 

どなたにも過去をふりかえれば失敗を笑い話にできるという部分があるだろう。

 

大きな波がきて、感情が揺さぶられつらいと感じるときおもいだしてほしい。「人生はロングショットでみれば喜劇だ」ということを。ただ生きて生きて生きぬけば、おおきなエンターテイメントなのだ。

 

 

おわりに

 

ボク自身、人生はごっこ、または一つのエンターテイメントとして、楽しむなんて発想は昔からあったわけではないし、わざわざ奇をてらったことが好きなわけでもない。絶持ちのふつうは、絶ってこそのふつうなのだ。つらいとき、じぶんの生き方に限界をもうけず健やかにひびを過ごしてほしいと願う。