
私達は、身体一つでこの世に生まれてきました。お守りを持たされたわけでもない。祝福はあるかもしれないし、ないのかもしれない。だけど、生きてみないと何も始まらない世界。四柱推命にて、命式解読をさせていただくなかで、もっと「あなただけの物語」を表現できないかと考えはじめた。今日は、四柱推命からみた人生傾向を、物語で綴ってみたい。扱う命式は私にとって重要な人物の命式。
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■四柱推命でみる人生のテーマを物語にした
私が生まれたのは丑月の肌寒い季節だ。遠い昔で身体は覚えていない。私の物語を八つの干支で表したものを命式と言うそうだ。
坤造
年月日時
庚己戊癸
申丑申亥
これが私の命式だ。冬月生まれ、身体を暖めるための暖気がなくて、どれもこれも干支が凍えそうである。だけど、生まれた年柱は庚申、柘榴木で、世間体よりも、私の中身を見てくれる家族の元で育った。これは、私にとって幸いだった。
親兄弟の柱である月柱に己とあり、私には姉が一人いる。陰陽が違うため、同じ環境で育ったのに、私達兄弟は、まるで性格が違う。特別仲が良かったわけではない。それでも、お互いに、年柱(庚)を生じて好奇心がつよい子供だった。(そうした部分は今も変わっていない)
小学校だったか。何を食べても「美味しい」という私に、父親が「日主子何がどう美味しいんだ?」と言語化を促した。柘榴木(庚申)らしい、教育的アプローチという奴だ。私は年柱の食神(庚)を生じて、言葉による表現を使う習慣が身についた。ついでに、食神が功を奏して、料理にも興味がわいた。
坤造
年月日時
庚己戊癸
申丑申亥
干関係という奴か、戊土が己土をつよめることで、私(戊)は姉や家族(己)には協力的なほうだった。月支の丑に通根して、結婚した今でも、実家との縁は残っている。庚が食神で、自由なたちだったが、親は勉強しろと、きつく言うほうではなかった。
かわりに、月柱に劫財(己)が通根して早くから自立を意識していた。十代になると劫財(己)が食神(庚)を生じて、料理の仕事をしたいと考えるようになる。食べるのは好きだが、土生金(戊→己→庚)で、食べるだけ担当は命式が許さなかった。丙戌という大運に、高校卒業後に就職した。丙が食神(庚)を剋して、仕事はあまり楽しくなかった。ついでに、家賃も地味に高くて、月柱の劫財(己)がお金を散らした。ああ、金が残らない。毎月がそうだ。天乙……。
意外だったのは、年柱に庚申が通根して職場では「しっかりしてそうだね」と言われることである。日支の申と亥が害して、内側ではもっと色々考えているのだが。結果丙運で退職、比肩の戌運に、地元の丑を刑していっそ、沖縄でリゾートバイトでもするか、等と考えていた。その時は自分が結婚するとは想像もしていなかったのだ。
坤造
年月日時
庚己戊癸
申丑申亥
それでも、大運丙に鍛えられて料理の技術は上がっていく。そんななか、自分が何か食べた時、◯◯で、こんなところが美味しかったね。友人(己)と食事をしていて口にしていることに気づく。日支の食神申(表現、アイデア)を社会年柱(庚)に伸ばして、料理の開発、企画もいいかもしれないと浮かぶ。結果他の職場で、商品開発を始めて、これが楽しい。
因みに私は二十代は月柱に劫財(己)が通根して、貯金よりも自分の好きなことにお金を使った。これは余談だが、命式に金(庚、申)が並び、私には父親譲りの音感がある。歌好きで、高校のバイトでお金を貯めて、当時高額のコンポを買った。十代はこれが貯金がない主な理由である。
(因みに、旦那が聞いているラップ、丙陽(へいよう)、陽、陽、陽、夜夜卯陽というのは趣味が合わない。ラップは音楽なのか……。)
あの時貯めたお金で包丁(庚)を買っていたら?こんな想像は今更だ。日柱の比肩(戊)の時代には、金運が上がった。結婚したことも関係するけど。
料理をしながら、そんな昔のことを思い出す。明日は商品の試作を提出しなければならない。年柱の食神(庚)を日支(申)に引っ張り、結婚後もずっと技術力を生かして料理の仕事をしている。あ!もうじき確定申告の時期だ。時柱は身近な場所で、正財(癸)と繫がり、家計の管理も大変である。だけど、これまで命式につよい剋がなく、大運も関係して大きな波がなく歩めてきている。家族も健康だ。現在乙酉運、日支の申が月支(地元)に通じて地元で旦那と一緒に暮らしている。
坤造
年月日時
庚己戊癸
申丑申亥
※こんな風に、その人だけの物語として、人生を命式で作品化する。そんなサービスを展開するのも、素敵ではないかと感じる。
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■終わりに
またね。